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和牛の育種改良(素人ブリーダーの私見)-第7回-

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2014年4月22日

7、和牛産地の興亡 種雄牛の力③ ~但馬編2~

 農畜産業振興機構のHPの月報「畜産の情報1992年6月」に「但馬牛の改良に取り組む県や農家( http://lin.alic.go.jp/alic/month/dome/1992/jun/ugoki.htm
山本文二郎」が掲載され、当時の但馬牛と但馬の状況がよく記されています。
 その中で、「1973年に兵庫県で繋留されている種雄牛24頭のうち熊波系が11頭、中土井系が8頭、城崎系が5頭であった。」が、「70年代後半に入って肉質が重視されるようになると中土井系に人気が集まるように」なり「1992年の県有種雄牛41頭のうち中土井系が35頭、熊波系が2頭、城崎系が4頭」になった、と但馬牛の中での系統の激しい盛衰を伝えています。

 私は前回のコラムで、「肉質における但馬牛の優位性の頂点は、安谷土井の息牛の谷福土井、安福、菊谷のころ」と書きましたが、安福や菊谷が但馬に残った牛たちとどこが違うのか、なぜ、安福や菊谷がより秀でた脂肪交雑の力があったのかと考えました。

 血統から見れば、安福は父安谷土井、祖父安美土井は本流の牛ですが、その前は徳藤土井、茂金波、但菊徳、鈴幸土井、五十鈴と本流から外れた牛です。また、菊谷は父安谷土井ですが、その前は秀菊、塩重、五十鈴とこれも本流の牛ではありません。これらの牛は、安福、菊谷のころを境に但馬の名簿からまったく消えてしまいます。
 逆の言い方をすれば、私は、安福や菊谷には、本流ではない牛の血が入っているから、大きな遺伝力を得たのではないかと思います。冒頭の月報でいう「中土井系に人気が集まる」前の但馬牛の血が残っていたからではないかと思います。

 10数年前、私が初めて美方の繁殖牛舎を見た時に感じたことを一言でいえば、「何と牛が同じように揃っているのだろうか。」牛の大きさといい、体型も、顔も姿も同じに見えました。まさに、但馬牛としての目標を定め、改良を進めた結果を見た感じがしました。

 しかし、この改良がまた、但馬牛の将来に困難をもたらしているのではないでしょうか。
 現代の牛飼いは、自然交配のころの牛飼いと違って、凍結精液の人工授精で繁殖をし、飼養頭数も激減し、種雄牛の側からも、雌牛の側からも遺伝資源の内容の幅が限りなく小さくなっているのが現状です。

 和牛の肉質の聖地ともいうべき但馬、兵庫県で、再びかつての力をとりもどしてほしいと思います。そのためには、かつての但馬牛の状態がどうであったのか、その力の源泉は何であったのかを突き止め、原点に戻ることがだいじではないでしょうか。

(つづく)

A5ファーム 日下部俊雄
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