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被災地を旅して 〜TALKへ行きたい!⑤〜

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2012年9月25日

5月12日、松本大策先生と埼玉県比企郡小川町にある、霜里農場を訪ねました。

代表の金子美登さんは、1971年に有機農業を始めた日本の草分け的存在。農薬や化学肥料を使用せず、牛や鶏を飼い、その排泄物を活用して野菜を栽培する循環型の農業を実践。多くの研究生を受け入れていて、独立を果たした生産者は、100人を超えています。

金子さんが目指すのは、「食物だけでなく、エネルギーも自給して自立する農法」。そこで活躍しているのは、農場の中で飼育されている3頭の牛さんです。

農場内にある小型の発酵層に家畜の糞や生ゴミ、水などを入れて発酵させると、微生物のチカラでバイオガスと液肥が生まれます。ここから発生するガスは、本当にコンロの調理用の火や、お風呂、温水器などに利用されていました。

そんなに大規模ではなく、「牛2頭で、家族5人分の生活がまかなえる」そうです。霜里農場では、奇数月の第二土曜日に農場見学会を実施していますが、毎回定員はすぐいっぱい。「なんとかエネルギーを自給して、原発のいらない社会に」。そんな思いの現れかもしれません。

「小さくても最先端!」な金子さんの農場を後にして、松本先生と都心の表参道へ向かいました。「希望の牧場〜ふくしま〜」の写真展が開催されているのです。

福島第一原発から20km圏内の、警戒区域には多くの動物たちが取り残され、餓死か殺処分を余儀なくされています。そんな中、浪江町のエム牧場の場長を務める吉沢正巳さんは、今なお380頭もの被曝牛に飼料を与え、飼い続けています。

そんな姿勢に共鳴し、全国から寄せられた支援やボランティアの応援によって、存続しているのが「希望の牧場」です。

写真展では、原発周辺の牧場に取り残されて亡くなった牛さん、警戒区域内で今なお逞しく生き続ける牛さんの姿が、リアルに映し出されていました。終了時間も迫り、そろそろ帰ろうと思ったその時、代表の吉沢さんがひょっこり会場に現われました。これはありがたい。松本先生と一緒に、お話を伺う事ができました。

「国は殺処分しろというけれど、牛は動くガレキじゃない!」
 被曝した牛たちは、食用に流通させることも、警戒区域から出すこともできません。それでも生かし続ける。
「オレの人生せいぜいあと20年。すべてこの牧場に賭ける」
 このまま牧場を存続させても、町も農地も荒廃していくだけ。それでもそこに、希望はあるのでしょうか?
「食用の作物は無理でも、バイオ燃料を育てて、原子力に頼らない農業特区を作りたい。牛が雑草を食べ、排泄することでセシウムが濃縮されるから、除染を手伝ってもらおうと思っている」

小川町で、エネルギー自給のモデルを見せてくれた金子さんの牛さん。
原発に近い警戒区域で、吉沢さんと一緒に生き続けることで闘っている牛さん。
人間が原子力に頼らない社会を作ろうとする時、牛さんは大事なパートナーであることを学びました。

「牛は動くガレキじゃない!」
絶対に希望は捨てない。そんな吉沢さんの声が、耳の奥でずっと響いています。

● 霜里農場 http://www.shimosato-farm.com

● 希望の牧場〜ふくしま〜 http://fukushima-farmsanctuary.blogzine.jp

埼玉県小川町の霜里農場で、エネルギー自給の要として活躍している牛さん。

警戒区域内で、380頭の牛を飼い続ける、「希望の牧場」代表吉沢正巳さん。

(つづく)

三好かやの
http://mkayanooo.cocolog-nifty.com/blog

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