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伏見康生のコラム
「NO.112: 「無角和種のお話(6)」」

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2010年10月27日

 その後、昭和5年に、山口県が英国から直接アバディーンアンガス種雄牛を一頭輸入した頃から、暫らくその真価が認められるようになり、同年に標準体型と登録規定の改正を行ない、いわゆる無角防長種として名を高めさらなる改良が進められていきました。防長とは周防(すおう)国と長門(ながと)国、即ち現在の山口県を指す言葉です。

 昭和12年中央畜産会において全国の和牛の本登録を行なうことになった際、無角牛もその本登録を中央にて行うことになり、本登録牛は無角和種と呼ばれることとなりました。昭和14年には無角和種審査標準が中央畜産会によって作られました。

 そして昭和19年、無角和種も一つの固定種としてみなすに至り、和牛となりました。ただし、黒毛和腫などと比較すると固定度は低く、雑種的なものも多少なりとも含まれていたようです。

 早熟早肥で粗飼料利用効率の良かった同種は順調に頭数を伸ばし、昭和38年には1万頭近くに達し、子牛価格も黒毛和種より無角和種の方が高値で取引されていました。しかし昭和40年代には消費者の指向が霜降り重視に移行していったため黒毛和牛との子牛価格差が開き始め、平成になると無角和牛は黒毛和牛の半値近くになってしまいました。価格とともに頭数も激減し、現在では山口県に120頭余りの繁殖母牛が飼育されているにすぎません。山口県では絶滅を防ぐべく、再生への取り組みが行われています。

(おわり)

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