さて、そのようにしてどんどんシンメンタール種による改良が進められたかというと、そう順調ではなく、役牛としてそぐわない点も出てきました。そこで大正5年頃からはシンメンタール種の交配を止め、再び朝鮮牛の雄牛を交配しその子孫から優秀なものを選抜し繁殖していきました。これを改良朝鮮種と呼んでいます。 大正11年には熊本県の褐牛を導入したこともありましたが、よい評価は得られず中止しています。
ところで・・・前述のように、高知系の褐毛和種は鼻鏡、眼縁、舌、角、蹄、尾房、陰嚢、肛門等の色が黒く、これを「毛分け」と呼んでいます。この特徴は輸入朝鮮牛にはじまるもので、高知県ではこの「毛分け」が好まれたため、高知向けに「毛分け」を持つ朝鮮牛が選別され輸入されたためといわれています。
■写真は(社)全国肉用牛振興基金協会様サイトよりお借りしました。 |