各県の登録が開始されてから十数年を経過し、中国地方などの先進県に本登録牛が出始めた頃には、各県の改良の進んだ産牛の間にはそれほど大きな差異は認められなくなっていました。 登録開始時にはバラバラマチマチであった各県の雑種牛ですが、(1)改良の目標とするところが「地方の農業経営に適合した農用牛の造成」という点にあり、どの県も同じであったこと、 (2)中国和牛研究会の活動により、各県の研究、技術、情報の連携が強められたこと、(3)連合共進会の開催によって改良の方向性が実物によって示されたことなどが成果をあげ、形質がそろっていったのでした。
そこで政府は、わが国の農業経営に最も適合した農用牛を造成固定化するため、全国的に登録事業を一本化することを決めました。そして昭和12年、全国版の和牛登録団体として社団法人中央畜産会が指定されました。中央畜産会で行なわれる登録は本登録のみとしてこれを中央登録とよび、各県の登録団体では予備登録以下の地方登録を行なうこととしました。 また、かねて中国和牛研究会が研究し、製作した和牛審査標準をもって本登録の審査標準とし、その後各県の予備登録以下の選択基準としても用いられるようになったので、全国の大部分の和牛が一本の審査標準で選択淘汰されることとなりました。 |