鳥取県のこの取り組みが直接的な誘引となって、国は和牛の主産地である中国6県を中心に、9県下で70日、550頭の優良牛の体型に関する実態調査をおこないました。その調査書は農商務省より大正8年に「役肉用牛の体型に関する調査」として頒布されました。
この資料が基となり、鳥取に次ぎ、島根、大分、山口と各県独自の標準体型作成が続々と作成されていきました。
県ごとに導入した外国種も違い、もとより飼育していた和牛ですら大きく異なっていた当時、無理に一つの基準を定めるのではなく、一見丸投げのような「各県、目標を決めて改良してみてください。」という自由度の高い指針は、実はかなり妥当な判断であったといえそうです。
標準体型は和牛を改良する上での具体的な数値としての基準。非常に大きな一歩でした。