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伏見康生のコラム
「NO.80: 「標準体型の設定」」

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2010年3月3日

 明治末期の雑種熱とそのあまりに早い衰退というドタバタを乗り越え「改良和種」という名称が起こった大正元年、臨時産牛調査会において雑種の整理をすべき旨の答申がなされました。そこで国より「各県毎に実情に応じて改良目標をたて、和牛の整理固定を図るべきこと」という指針が示されました。

 簡単に言えば、最初は「雑種を作ってみましょう!」そして今回は「雑種は失敗です。整理をして、各県、目標を決めて改良してみてください。」・・・そんな丸投げ指針だったわけですが、ついにここから現在の和牛へと続く改良の正道が開かれることになるのです。

 大正7年、鳥取県がいち早く「改良和種として因伯牛の血統を固定する」という同県の改良目標を定め、因伯種標準体型草案を作りこれに関する指導を国に求めました。翌8年には因伯種標準体型が制定され、大正9年から畜産組合連合会で因伯種登録事業を始めました。

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