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ゲストのコラム
「食の在り方 (第七話)」

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2011年9月6日

〜 誰のための協同組合? 〜

 都市と地方(農林漁村)の「距離」。消費者と生産者の「距離」。依然として大きな隔たりがあるようです。そして、生産者は農協を、消費者は生協を、其々「自分たち」の利益のために作り其々に追求しています。でも何だか「上手く」いっていない感じがするその何かが、子供たち、孫たちをはじめとする次世代にシワ寄せされているような気がします。

 私たち夫婦は、「子供たちの協同組合」があったら良いと考えています。選挙権も持たない、まだ生を受けていない子供たちの未来の利益を確りと考えて護ってくれる大人が少ないのであれば。農協も生協も、生産者も消費者も、結局は「今を生きる私たち大人」の利益のために動いていると言えるのではないでしょうか。

 さて、仮に子供たちの将来の食を護るための「子供たちの未来の食料組合」なるものを発足し、私たち大人(消費者・生産者)がメンバーになるとした場合、生産販売のどんな仕組みがあればいいでしょうか。先ず、食料を生みだす場所(畑)、担い手、健康を担保する栽培・加工方法、そして食文化などを未来にわたって護っていく必要性。その上で、今を生きる私たち大人(消費者・生産者)が暮らして次代に繋げられることが必要です。大概の生産者は決して大儲けしようとは思わず、ただ「安定した暮らし」を求めているだけです。お天気相手の生業ですから、豊作の年もあれば不作の年もあります。出来が悪くても良くても変わらず自然に感謝して作られた食べものを確り「買い支えてくれる」消費者が必要なのです。その時にはじめて「信頼」が生まれ、「本当の食の安全」が担保される土台ができるのではないでしょうか。生産者は、大切な自分の家族に可笑しなものを食べさせようとは決して思わないはず。ここが重要なポイントです。買い支えてくれる消費者は、自分たちの信頼できる(お目に叶う)「生産者」の「家族(のような存在)」になればいいのです。「信頼の輪」の中には必ず「本当の食の安全」があるはず。松本先生は、「本当の食の安全」とは、「生産者を護ること」と「消費者と生産者を信頼の輪でつなぐこと」だとおっしゃりました。

 次回は、「子供たちの未来の食料組合」での生産販売の仕組みについて考える前に、既に忘れ去られているであろう「飢饉」を、検討に不可欠な要素として見つめ直してみたいと思います。
(つづく)

 木原 茂明

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