大震災これから・・
大震災の影響は、さまざまな問題となって目の前に現れてきました。我が家のような肥育農家にとって一番の打撃は、牛肉の価格が震災前の2割減と下落傾向にあることです。売価票とにらめっこの日々が続いています。
もう一つの問題は、宮城県でも出された牧草給与の自粛要請でした。この時期の牧草を最も必要とするのは酪農家。角田市が自粛解除となった6月中旬、酪農家のWさん宅を訪れると、「春の一番草は、牛も酪農家も待ち望んでいる草だったのに……」と悔しそうでした。しかしWさんは、「安心して飲んでもらうためだから仕方がないわ」と言います。牛の体調や餌の管理には、今まで以上に注意を払っていくと前向きに話してくれました。
今回の大震災では、津波の犠牲となった家畜もたくさんいました。
地震発生時にいた名取市では、私が4号線を必死で逃げ帰る間、海から5キロのあたりまで津波が押し寄せていました。名取市にあった宮城農業高校では、実習用の乳牛が津波に飲み込まれました。しかし、奇跡的に数頭が生き残り、その後もコンクールで入賞するなど元気に活躍する姿で、人々に希望を与えてくれています。
大学時代の友人は、南相馬市で養鶏と水稲を営んでいました。彼の名前をネットでたどり、やっと連絡を取ることができました。「何にもなくなっちゃったよ!」と電話口の明るい声を聴いて、こちらの胸が詰まってしまいました。鶏も家も田も、すべて津波で流されたうえに、原発の影響で帰ることもままならないのです。「とにかく、補償を求めて闘っていくよ!」という彼の力強い言葉に、こちらまで励まされるようでした。
相馬市に拠点を構える飼料会社のTさんは、久しぶりに顔をほころばせて、こんな話を聞かせてくれました。「相馬野馬追の馬に、餌をやってくれと、わざわざ北海道や九州から、寄付金があるんですよ」。Tさんは、馬を愛する団体が全国各地に存在することを、震災で初めて知ったそうです。寄せられる厚意に、私も同じく感謝と喜びを感じました。
大震災で失われた多くの家畜の命を思うとき、生き残った家畜をさらに慈しみ育てなければと思っています。自然を相手にする農家は、試練のたびに立ち上がってきました。地に足をつけて生きる者の底力で、これからも歩み続けたいと思っています。
堀米 薫
HP: 牛飼い&米作り 百姓 堀米の部屋
絵本: チョコレートと青い空