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ゲストのコラム
「牛飼いの嫁より愛をこめて (第3話)」

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2011年6月28日

災禍の中の畜産農家

 夫は、「たとえ避難になっても、牛たちをどうにかしないうちは自分は動かない」と、堅く心に決めていたようでした。

 テレビで報道される以前から、農家仲間を通して、避難区域に残された家畜の情報が、私達の耳に入っていました。家畜の餓死、やむなく野に放つ、殺処分・・・同じ畜産農家として、当事者の家畜と農家を想い、悔しさと悲しみでやりきれませんでした。

 地震から12日目、某雑誌の取材のため、未だガソリンの欠乏する中、私は市内の酪農家Wさんに会いに行きました。「地震発生の時は、牛たちがびっくりして、まるで渦でも巻くように走り回ったのよ。なだめるのに一苦労だった」と、Wさんは言います。

 当時は、集乳場もストップしていました。停電の頃は、発電機を借りて毎日搾乳し、行く先のない1トン半もの乳を裏山に捨てていたそうです。「こんなことが、まだまだ続くのかと思うと、がっかりだわ。でも、搾らなければ病気になってしまうし、牛の体を守るためだから、しかたがないのね」
Wさんは、ため息をつきました。

 私の目に、家の玄関に飾ってある絵が飛び込んできました。小さい頃の息子さんが、描いた乳牛の絵です。家族全員で、愛情をこめて牛を育ててきたことがよくわかります。それだけに、乳を捨てざるを得ないWさんの辛さを思わずにいられませんでした。

 Wさんからは、明るい話も聞きました。震災の影響か体調を崩し、第4胃変異や盲腸を起こした牛がいたそうですが、そこに登場したのが獣医のA先生。「軽油で走るダンプを乗り回し、おしゃべりをしながらささっと手術をしてしまうんだから、すごいよねえ」笑顔で話すWさんは、A先生の迫力に元気をもらったそうです。

 夫も、その話を聞いてうなずきました。「危機において人間は二つに分かれるよ。一方は、不安に飲み込まれてしまうタイプ。もう一方は、組してさらに勢いづくタイプだ」

 獣医さんや畜産農家に、後者が多いような気がするのは、気のせいでしょうか!?

 今では、集乳が始まったという、ほっとするようなニュースも聞かれるようになりました。我が家の牛たちも、えさを十分食べられるようになりました。

 しかし、復興へ歩み出そうとする私たちの前に、新たな問題が次々と姿を表してくるのでした・・・。(続く)

堀米 薫
HP: 牛飼い&米作り 百姓 堀米の部屋
絵本: チョコレートと青い空

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