− 第5話 −
食はインフラなのだから、食を創出する農業にビジネスを持ち込むべきではない。という議論もあります。しかし、われわれ生活者はスーパーに行けば「食」を選んで買うことができます。お米でもお芋でも野菜でも、農産物にはどれでも様々な品種があり、廉価なものから超高価なものまで揃っています。同じ野菜、同じ品種でも産地やつくる人が違えば価格は異なります。農産物を原料として加工した食品を製造すれば、農産物にもっと付加価値をつけることができます。最近、よく聞くようになった6次産業化とか、農商工連携などは農業にもっと付加価値をつけてビジネスにしようとするものです。つまり、農業は既にビジネスになっていて、競争の世界にあるということを認識しなければなりません。
しかし、そうも割り切れないのが農業です。それを私たちは3・11の東北大震災で知ることになりました。被災地では食料が不足し、震災後しばらくの間、被災者の多くは少ない食料を家族で分けあって食べることになりました。食料を買いだめする人たちが続出し、被災地から遠く離れた地域でもスーパーなどから食料、食品がなくなりました。日本人は「飢える恐怖」をはじめて経験したのです。
私の友人のお米屋さんのところにも、震災後、全国から問い合わせが殺到したそうです。このときにはブランド米もお手頃な価格のお米もおなじお腹を満たす「食料」となりました。農産物は嗜好品でもあり食料でもあるということが示されました。私たちは、この「食」のもつ二面性を常に意識しなければならないと考えています。
私たちは、これまで「食」とか「農」について、じっくりと考えること機会はあまりありませんでした。日本が経済的に豊かになったこともあり、レストランやスーパーでは食べ物を選んで買うだけで、食は他人、つまり農家に任せっきりで、安全、安心などの消費者の権利を主張するばかりで、飢えの恐怖を感じることは、ほぼ皆無となりました。
食卓と畑(田んぼ)の距離がどんどん遠くなっていきました。
私たちは、そろそろ立ち止まって「農」の本質というものを考えなければならない時期なのかもしれません。
(つづく)
株式会社リープス 鈴木 善人
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