〜 作って、食べる<1> 〜
最近、「家庭菜園」が一般家庭に広く定着したように感じます。農に縁のない友人から「プチトマト育成中」の写メと一緒に「今度牛糞ちょうだい」とメールが来たときは驚きました。ここ数年は、珍しい外国の野菜・ハーブの苗もたくさん登場、選ぶ楽しさもいっそう増し、嫁舞子も黒と緑色のトマトやズッキーニを植えて、料理の腕が伴うかはともかく、おしゃれなイタリア風ディナーを夢見ているところです。
そんな私も、結婚前は新興住宅地のマンション暮らし。土いじりなんてしたこともなく、畑を持っている人が、泥や葉のついた野菜、ふだん菜などのスーパーでは見ない自家用野菜をどっさりくれると、途方にくれていました。袋の中の蒸気で葉がぺったりしてくると気持ち悪く、虫がいそうで怖い、メジャーな野菜じゃないのは得体が知れない…、スーパーで冷蔵されお行儀よく並んでいるのを買うほうが楽ちん安心でいいのに、と。
でも、私は「自分で作って食べる」体験を通して大きく変わりました。スタートは、牧場の嫁となり、バルククーラーから分けた牛乳を、恐る恐る沸かして飲んで…、お腹壊すどころか、スーパーで買ったものより断然おいしい!と驚いたこと。
さらに「買うよりお得☆」なことに気付くと関西女魂に火が付き、シソや三つ葉、プチトマトと栽培の手を広げ、今はスナップエンドウやズッキーニ、ベリー類など、“買うと少し高いけれど栽培は簡単”な野菜ばかりを選んで育てるという邪道ガーデナーに成長、ヨーグルトを自作するまでに。その過程で、泥や虫、溶けた葉を除くのも全然苦ではなくなり、「スーパーは頻繁に行っているからよく知っている場所、だからスーパーの野菜のほうがなんとなく安心」から、「自分で毎日育ててるからこの野菜のことは分かったと思う、だから泥まみれでも曲がっていても汚いなんて思わない」に、価値観が180度変わったのです。
スーパーで売っている野菜が悪いって言ってるわけじゃないのです。あれらだって、農家さんが作った立派な野菜。ただ、生産過程を体験し、売っている場所の向こうにある、食べ物が来た道筋を理解できることが、個人の食全体の見方をどれだけ大きく変えるかということです。農家さんに知り合いがいなくても、畑に出たことがなくても、小さな鉢で育てるだけでその理解は得られ、生産現場が見えてきます。「食育」とよく言われますが、それは子どもたちだけに向けた言葉ではなく、食を担う大人にこそあてはまる、食を知る第一歩。行事としてわざわざ出かけたり調べたりするのではなく、家庭の毎日の暮らしの中で、野菜に限らず口に入るものを自分で作ってみることが、さらに気軽なものとして広まり、社会全体の共有体験となれば、もっと食の生産者と消費者は近くなるのかも…。自分の体験を通して、そんな気がしています。
(つづく)
著:黒沢牧場 上芝舞子