やまけんこと山本@グッドテーブルズと申します。実はずーっと前(昨年)から松本大策先生に「コラム書いてね」と言われ、「すぐに書きますよ〜」と安請け合いしていたのに、さぼって今頃になってしまいました。松本先生本当にごめんなさい。
私は農産物流通コンサルタントという肩書きで、主に野菜や果物の流通の仕事をしています。いま、畜産物も大変な時期ですけど、野菜は全国的に商売が成り立たないくらい安く買い叩かれています。市場のシステムが時代に合わなくなったり、魅力的な商品がないということもありますが、一番大きな問題は「日本の食の価格が安くなりすぎている」ことだと思います。そこで、どのようにすれば生産者も流通業者もきちんと生活できるだけの収入を得ることができるのか。そう言う問題意識をもって野菜の商品開発や新しいPBの立ち上げなどのお手伝いをしています。
一方、ここ数年ですが、実は牛肉に関する仕事が多くなってきました。実は私、4頭の短角和牛のオーナーになっているのです。
岩手県が誇る、赤身肉が美味しい牛である短角和牛をご存じでしょうか?「和牛」というと通常は黒毛を指すことが多いようですが、実は和牛には黒毛・褐毛・無角そして短角の4種があるわけです。黒毛は中でもサシが入りやすく肉の歩留まりもよい、つまりいまの格付制度には最も有利な牛です。だからこそ全国で育てられているのでしょう。
でも一方で、短角・褐毛といった品種は、サシよりも赤身肉に美味しさがあるといわれる品種です。なかでも東北の南部牛をルーツに持つ短角和牛は、赤身肉中に含まれる遊離アミノ酸の量が黒毛の二倍程度になることが岩手県の分析でわかっています。
数年前に岩手県に行ったとき、この短角和牛を観て一発で惚れてしまいました。短角は、春先に産まれてから雪が降るまでの間を、母牛とともに放牧で育つのです。その間、牧野(ぼくや)に自生する牧草と乳のみを食べて身体を作ります。メス牛が45頭程度の群に種雄牛を一頭はなつと、雪が降るまでの間にほとんどのメスに種が着きます(笑)そうやって、人工授精ではなく「本交」という方式で短角牛は子を宿します。
この短角牛の肥育段階では、黒毛と同じような配合飼料で育てる農家も多いですが、地域によっては国産100%の飼料のみで育てているところもあります。また、岩手県ではプレミアム短角牛と銘打って、県内で生産したデントコーンサイレージを全飼料の7割給餌して育てる方式を推進しています。
短角牛のそうした光景を見て、その旨味タップリの赤身肉を食べて、私は「この牛は未来から来た牛だ!」と思いました。そして、ぜひオーナーになりたいとお願いしたのです。実は、短角の繁殖経営が盛んな二戸市では、広大な牧野を効率的に使用するためのオーナー制度があり、自分で世話が出来ない農家の分をオーナー牛舎で面倒を見てくれるシステムがありました。ただしそれはもちろん地元の農家向けです。東京に住む、非農家の私をオーナーにするというのは通常は無
理なお話。
でも、二戸の担当者さんが奔走してくれて、晴れてオーナーになることが出来ました。先に「4頭のオーナーです」と言いましたが、うちわけは繁殖メス牛が一頭。現在3年目なので、その子から産まれた子牛が3頭いるわけです。一頭目は「さち」という名前のメス牛で、実は6月中旬には26ヶ月となり、出荷になります。せっかくのメス牛なので繁殖用に保留しろといわれたのですが、畜産農家の味わう、自分の牛との別れの苦しみを味わうために、肉にすると決意したのです。し
かしこれはきつい!6月、私は泣いていると思います。
二頭目の牛は雄。「国産丸」と名付けました。名の通り、国産飼料しか与えないつもりです。今年3月に産まれた雄には「草太郎」と名付けました。この子には粗飼料しか与えないで育てようと思っています。
非農家で、食に関わる仕事をしている私が牛を飼うというのは、非常に珍しい自体だと言うことを理解しています。なぜそんなことをするかというと、私は「牛肉」ではなく「牛さんの肉」をいただくのだということを世間にもう一度問い直したいのです。
尊敬する松本大策先生は、牛のことを「牛さん」と呼びます。畜産の専門家の方からすると「意味がない」という人もいますけれども、僕は「牛さん」と呼ぶことに賛成です。なぜならそう呼ばないと生き物をいただくという「痛み」を感じないからです。
いま、野菜だけではなく肉も魚も、加工食品も全てが安く買い叩かれています。消費者は「佳いものを安く」ということが普通に可能だと信じているようですが、おかしな話です。それについては、食べ物がどうやってできているのかという実感がわかないような売り方をしているからということも一因だと思います。
例えば「牛肉」といえば、スライスされてパックに入っているものと思う人が多いはず。商品としての「牛肉」からは生き物の命や、と畜・解体されてここまでやってきたという生々しさはありません。
けれども「牛さんの肉」といったらどうでしょうか?生きている牛さんの大きな身体が脳裏をよぎるかも知れません。その時おそらく人は「これはありがたい食べ物だ」と思うはずです。
現代はこの「牛さんの肉」と思えない社会になっていると思います。それをどのようにして変えていくか。その方法を探るために、畜産農家でもなんでもない僕は自分で牛さんを所有し、肉になるまでを見届けようと思っているのです。
ですから当然、と畜・解体にも可能な限り立ち会うつもりです。卒倒しちゃうかもしれませんが、、、
そして、一頭目の「さち」を食べる会を開催して、牛肉ではなく牛さんの肉を食べるんだという認識のもと、食べてもらうと言うことをしようと思っています。
そんな私がいま、牛さんの肉について考えていること、感じていることを数回に渡って書いていきたいと思います。次がいつになるかわかりませんが、とりあえず初回はこんな感じで。
★画像(別窓で開きます)
・さちはこんなに立派になりました。
・二頭目の国産丸。
★リンク(別窓で開きます)
・やまけんの出張食い倒れ日記
・株式会社グッドテーブルズ
山本謙治@グッドテーブルズ