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ゲストのコラム
「和牛1頭仕入れの焼肉南山奮戦記(13)」

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2010年2月23日

〜 経産和牛「なかのり号」との出会い 〜

 マイナーな和牛といえば、なんといっても近江牛を19頭生んだ「なかのり号」のことを語らねばなりません。
 近江牛の木下牧場さんとのご縁を頂き、木下その美さんの父上、後藤喜代一さんともすっかり親しくなりました。後藤さんは、琵琶湖に浮かぶ沖島出身の元石材業の職人さん。石がコンクリートに、水運がトラックに変わる時代に稲作農家に転業され、その3年後に、今度は減反政策で畜産業に転業。ホルスタインやF1の肥育をなさった後、牛肉の自由化の折に、但馬の血統の母牛を導入し、近江牛繁殖肥育一貫経営を始められました。
 その初代母牛が「なかのり号」。後藤さんは、苦楽を共にしてきたなかのり号が10年連産の表彰を受けた後も彼女をずっとそばに置かれ、いつのまにか19産。そこまできていよいよ「さぁ、どうしてやるのがいいかなぁ」と、種付けをストップされました。
 とても大切にされた22歳の経産牛…。このなかのり号を、南山で食べることにしたのです。松本先生やいろいろな方に相談し、上等の餌をプレゼントしてもらったなかのり号は愛情深く再肥育されました。そして出荷の日には「敬牛の集い」を開催。食となる命を見つめることをテーマに、子どもたちはなかのり号の姿を絵に描きました。
 なかのり号は、大方の予想を覆すおいしいお肉になりました。たくさんの方になかのり号のことを知ってもらおうと、この企画を共催してくださった近江牛専門店のサカエヤさんには、最高級の近江牛カレーに仕立ててもらい、私はなかのり号の物語を絵本にまとめて「読んで食べるカレー」をつくりました。
 もうすぐなかのり号の1周忌。私には最高の思い出となる牛さんでした。

つづく
焼肉料理屋南山 店主 楠本貞愛 記)

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