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ゲストのコラム
「和牛1頭仕入れの焼肉南山奮戦記(3)」

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2009年12月15日

〜 焼肉屋として生き残るために 〜

 南山は、もともと和牛を扱っていたわけではありません。
 焼肉は、戦後日本で生まれた食文化で、日本人が食さずに捨てる内臓肉を、在日韓国朝鮮の人たちが独特のタレで味付けして焼いて食べたのが起源だと聞いています。
 敗戦でゼロになって打ちひしがれている日本で、それ以上に貧しい、国も文化も家族もずたずたにされた民族が日本で解放を迎え、喜びと希望に満ちて「民族の復興食」とでも言うべきホルモンをパチパチと勢いよく焼いて食した…。そんな風景を想像すると、私はホルモン焼きをすごく粋な食文化だと誇らしく思います。
 捨てるもの=放るもん=ホルモンというのが焼肉のルーツですから、素材ではなくタレの味が勝負だったので、南山では、牛肉は広い土地のあるアメリカやオーストラリアから輸入するべきものと、何のこだわりも持っていませんでした。
 ところが、焼肉業界に大手企業や食肉業界が進出して格安の焼肉チェーンを展開する一方、タレではなく肉そのものの味を誇る焼肉店が圧倒的な集客をするところとなり、業界に大変革が起こりました。
 南山は、結果的に、築200年の農家を移築した立派な建物の改装にあわせ、建物の格にあう、肉そのものの味を誇れる焼肉屋に変貌すべきところに立たされたのです。
 ホルモン魂でこてこてな私たちは、和牛なんて高級なお肉を食べたことすらなかったのですが、仕入れ値が2倍も3倍もする高価な「和牛なるもの」をただ単に安く仕入れるため、その手段として、1頭仕入れを始めざるを得なかったというわけです。

つづく
焼肉料理屋南山 店主 楠本貞愛 記)

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