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ふんだんにある“山の恵み”…見渡す限りの笹や雑草や灌木…。牛は草を食べる動物。なんも餌は牧草でなくちゃあダメだって事はない。灌木の葉や笹や雑草だって牛さん達にとってみればこの上ないご馳走! 今まで開拓するためには畑を起こして種をまいて、収穫するまでには毎日雑草取りに追いまくられて、挙げ句の果てに収穫期が近づくと野ウサギやネズミの被害…。よぉ〜し!木の上で思いついた事の実践だ! まず手始めに、今までに開墾した畑の半分だけに雑穀の種を植えて、残りの半分は雑草を生やし放題にし、それを刈って一緒に連れてきた山羊と綿羊の餌にした。山羊からは乳を綿羊からは毛を取って細々と生活の足しにしていました。しかし、牛乳は30kgも搾れば結構な現金収入を得ることが出来たので収入を増やすために妊娠牛を1頭購入。 当初は2haの畑のうち半分を雑穀、半分は雑草園にして餌として利用していたが、ある年の春先、雑草が生える前に畑に筋を付けて牧草の種をまいてみた。最初は牧草が先に芽を出すけれど、途中から雑草がワッと芽を出し、アッという間に牧草を追い越して雑草園になってしまう。 雑草が牧草を追い越してしまう頃を見計らって放してみると、お腹をすかしている牛さんたちは、生えてくる雑草を片っ端から食べてくれるので、いつの間にか雑草が姿を消し、牧草が一面を覆い始めた。 よしっ!これなら笹地でもいけるかも?…未墾地を開拓する時と同様、少しずつ笹を刈り倒しては火入れをし、そのあと牧草の種をまいて牛を入れる。焼け跡に入れられた腹ぺこの牛さんは、餌となる笹の新芽や生えてくる雑草を求めて牧草の種を踏みつけながらそこら中を歩き廻る。 夏頃には雑草が姿を消し、この笹地が少しずつ牧草地に変化してきました。 牛さんは雑草を片づけてくれながら、牧草の種を蹄で土の中に押し込んで牧草地を作ってくれていたわけです。 つまり、牧草地の管理人(牛?)だったんですね! このように、牛さんによる山の開拓が始まったのは、斉藤さんが入植してから10年目の春の事でした。
(つづく)
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