|
|
前回、バーズフットトレフォイル(和名セイヨウミヤコグサ)を草地に入れて、鼓脹症を予防するという話をしました。これは、タンニンがルーメン微生物の活性を抑える効果であるとされています。この資料には、実はその他にも面白いことが書かれていました。 それは、草地からミネラルを補給するために、ハーブを混ぜて撒くというものです。ハーブは、チコリーを主体にして「チコリー放牧地」と呼ばれています。チコリーは、非常に土壌中のミネラルを吸収することができるので、家畜の健康に非常に有効であるとされています。でも勘違いされると困るのですが(私も勘違いしましたが)スーパーで売っているあの白いものではないですよ。この種類は、日本名では「菊苦菜」と呼ばれている野草の種類です。(写真参照)他に播種するハーブ類は、オオバコ、ノコギリソウ、パセリです。播種量は、利用方法などで違うようですが、1.2kg〜2.5kg/ha程度です。この資料は、有機畜産のものですから一般的でないのかもしれませんが、考え方は面白いと思います。 この資料を見ていて思い出したのは、牛のことではありませんが、北海道の美唄市の農家が無農薬の稲作に取り組んだ時に、困ったことは「カメムシ」対策だったそうです。「カメムシ」は開花後の稲籾に口を差し込んででんぷんを摂取するために、米に黒斑点がついて売り物にならなるそうです。「カメムシ」は、イネ科雑草で育ち、稲が出穂するころに稲に移って来て被害となるが、出穂の後の稲でないと寄生できないという生態を利用した防除方法として、田んぼの畦にアップルミントを植えてイネ科雑草の生えなくしていくことで防除に成功したということです。ミントは、1度植えると多年生で自生していくものですが、初期生育が遅いのが難点ですが、畔の70%覆うようになると「カメムシ」はいなくなるそうです。これは「カメムシ」が羽が弱くてあまり移動できないということも幸いしています。 このような農薬に頼らず害虫の生態をよく観察して予防するということ考えなどは、江戸時代に考案されたものが多く、有名なものは、安政3年(1856年)に羽後国の篤農家高橋常作が書いた農書「除稲虫之法」や下野国の田村吉茂の書いた「農業自得」(1841年)などがあります。昔は、地域の篤農家が、地域に合った稲の品種改良なども手掛けたりして農業の生産性が向上に寄与していたのです。その流れが、後の種子屋さんになった例も多いようです。まさに今改めて、「温故知新」かもしれません! |