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ゲストのコラム
「内田千絵の新米日誌その7 「1人で周るようになって」」

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2007年5月29日

 病気の牛さんを診ているはずなのに、なぜか牛さんに癒されている毎日です。子牛のふさふさの体毛や、クリクリの眼、鼻を押し付けてくるしぐさ、お母さん牛の大きなぬくもり、大きな牛さんの純真無垢な表情。
 そんな牛さんの我慢強さに畏敬の思いを感じながら、そこまで我慢しなくても、と思わずにはいられない。痛いとか辛いとか、もっと言ってもいいのに、と。

 病気の牛さんがいて、その牛さんがその病気であることを「10」訴えているとする。体温とか、呼吸とか、糞とか。先生たちは、その牛さんの、「12」や「13」を診て、診断をして、薬を選択し、治療をして、牛さんを治しているのだと思う。(もちろん、農家さんからの情報は、とっても大事。)
 さて、私はいったい、どれくらい牛さんを診れているのだろう。「10」のうちの半分くらいは、診れているのだろうか。実際、牛さんと対面している時はもう必死で、もうこれしか考えられないとか、おそらくこれだろうから、今日はこの薬で様子を見ようとか、狭い狭い私の頭の中は、それでもフル回転で治療を選んで、その時は、明日にはきっと今日よりは良くなっているはず、良くなっていてほしいと、農家さんを後にする。けれども、次の農家さんへ向かう車の中で、仕事が終わって家へ帰る車の中で、ふと、不安になる。私は、牛さんからのメッセージを1つでも多くひらくことが出来たのか、私の判断が本当に正しかったのか、他にもっと良い方法があったのではないか、と。

 昨日より今日、今日より明日、少しでも前に進めたらと思う。

 牛の数だけ笑顔があったら、素敵だと思いませんか?

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