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松本大策のコラム
百合茂号 逝く

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2016年8月22日

 8月20日早朝、大種雄牛の百合茂が天に召されました。

 僕は、岩手の仕事を終えて鹿児島に帰る途中でスタッフから連絡を受けました。シェパードではここのところずっと治療を続けていて、検査をするたびに、どこかの病気というより、老衰性の多臓器不全がどんどん進行していく状況で、部外秘にしていたのですが、シェパード内部のカンファレンスでは、どうにかして8月18日の誕生日を迎えさせたい、という気持ちで必死で診療をしていました。
 ですから、無事誕生日を迎えた百合茂には花束を持って行ってお祝いしたくらいです。しかし、その気持ちを知ってか誕生日までがんばってくれた百合茂はその後急速に弱って、2日後の20日の早朝に息を引き取りました。最後まで自分の足で立っていた立派な死に様でした。

 百合茂が、徳重さんのところに来たのは生後3ヶ月。お母さん牛と一緒に徳重さんのところに来ました。徳重さんファミリーやスタッフの方の愛情をいっぱい受けて、とても優しくちょっとヤキモチ焼きの子に育ってくれました。百合茂が種雄牛として育成されはじめた頃は、菊平、勝忠平、という先輩がいて、この子はちゃんといい種雄牛になってくれるかな?とか心配したものでしたが、その後の成績が、百合茂のすばらしさを十分に物語っています。

 後継種雄牛の数にしても、徳重さんのところだけでも幸紀雄、直太朗、徳悠翔、百合智、実有貴、他の県でも百合白清2など、あまたの種雄牛を残しています。
まさに質・量兼備で飼育しやすく、頑健で病気に強い、すばらしい子孫を残した偉大な種雄牛でした。

 先ほど、ヤキモチ焼きというお話をしましたが、まだ平茂勝の治療を行っていた頃、必ず百合茂には挨拶してから平茂勝の牛房に入っていたのですが、処置している最中に、百合茂がヤキモチを焼いて、となりの自分の部屋の鉄枠の頭突きを続けるのです。それこそ種雄牛の頭突きですから、ゴーン、ゴスーンというものすごい音がして、平茂勝の治療中に百合茂をなだめに行くこともしばしばでした。その頃の百合茂の頭頂部は、頭突きで禿げてツルツルでした。

 でも、本来はとても優しく、僕が一人で牛房に無警戒で入っていくことのできる希有な子でした。入っていくと大型のワンコのようにじゃれて、僕の方に重たい頭を乗っけて「頸を掻いて-!」と甘えてくるのです。一番好きな牛でした。

 せめて亡骸にでも逢いたいと思い、自宅に帰ってシャワーを浴びてから徳重さんに向かったのですが、すでにお葬式もそして業者への引き渡しもすんだ後でした。主のいない百合茂の部屋に入って、手を合わせると不覚にも涙が出てしまいました。

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