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牛さんとわたし (出雲普及員のコラム4-2)

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2013年4月30日

2 振り出しの普及員生活(留萌にて)

 私が昭和53年から9年間勤務した留萌は水田が作付けの中心で、複合部門として和牛を取り入れた経営を展開する地域でした。その中でも小平町は初めて和牛を導入して数年しか経っていなかったので、町営牧野の場長に和牛指導員を兼任させ飼養管理の基本技術習得に努めていました。勤務した普及センターには和牛が分かる職員がおらず、大学を卒業してすぐの私が試験場などから技術情報を仕入れながら、農家さんへの技術指導に当たっていました。経験の浅い私がその場所で色んな体験を積んだことが、今の基礎になっていると感じています。

 和牛肥育についても、現在のようにビタミンAコントロールなどの技術が無かったので、本州の優秀な農家さんへ視察に行き勉強しながら指導をさせてもらいました。ある時ふところの深い農家さんが、「あんたに1頭の肥育牛のエサやりを任すから、試しにやってみてくれ」と言われました。育成期間中は、その牛の朝晩の飼料1週間分を週に1回飼料袋に詰めておき、農家さんに給与してもらうことを何ヶ月間か続けました。当時の飼養基準に従ってエサ設計をしたのですが、残念ながらこの牛は肥育中期に入ってから食い止まりを起こししてしまい、枝肉重量350kgにしかなりませんでした。
 せっかくだからと生産者が枝肉の値決めに私を誘ってくれ、農協担当者と3人で旭川の畜産公社へ行きその貧相な枝肉を見てきました。その生産者は決して私の失敗をせめたりしませんでしたが、帰りの車中で私が気まずい思いをしながら2時間の道のりを帰ったことを、今でも鮮明に覚えています。当時は失敗の原因がよく分かりませんでしたが、今になって思えば、残飼の確認を怠ったことなど飼料の食い込みを十分に確認せずに、微妙なさじ加減を怠っていたことが原因ではないかと思います。

 「失敗から学ぶ」と言いますが、農家さんから学ばせてもらうことがたくさんありました。参考書は技術の基礎になりますが、それに農家さんや自分自身の体験事例が加味され、生きた技術として使えるものになると思います。

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つづく

根室農業改良普及センター 出雲 将之

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