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伏見康生のコラム
「NO.76: 「無計画改良の末」」

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2010年2月3日

 当時、「雑種でなくば牛ではない!!」かのごとく言われ、雑種は高く売れ、次々と生産されていったのです・・・ところが、当時は外国種の交雑をするに当たって一定の改良目標が立てられたわけでもなく、一貫した選択淘汰といったことも行われなかったため、いたずらに混乱を招いたにすぎませんでした。

 まず役畜としては、体型は大きくなりましたが、動作が鈍重で、田んぼでの小回りが利かず、肢蹄も弱くなり、わが国の農業経営には不向きな牛が出来上がりました。
 さらに、雑種牛が肉畜市場に現れるようになってから、その肉質、歩留まりがよくないことから散々な悪評を浴びました。
 改良された点もあれば、改悪された点も大きかったのです。各地では倒産する農家も続出しました。

 明治四十一〜四十二年を境にして雑種牛は評価を真っ逆さまに落とし、その反動によって大正の初期までは「やはり在来の和牛ではなくてはダメだ」といわれるようになっていきました。

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