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秘境の郷の牛飼いだより ~第4回~

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2016年10月15日

④ 椎葉村の畜産の現状(補助金)

前回に引き続き、補助金の紹介をします。

◎増頭の為の施設整備補助金
 村では増頭をするための牛舎整備に対して補助金を出しており、事業費の 1/2の補助金があります。30頭以上の規模については、国県の事業で対応していますが、少頭飼いの農家に対しても補助をしています。
 山間地の土地がない農家が狭い空間をうまく利用して牛舎を作り、頑張っています。建築に当たっては、和牛改良部青年部も協力してコスト削減を努めています。

 また、堆肥舎整備に対しても補助金を出しており、同じく 1/2の補助金があります。山間地とはいえ、堆肥を適正に処理しなければならないのは、何所も同じで処理に苦労している農家も多数あります。
 椎葉村は耕地が少ないために、土壌還元がうまくできずに、多頭飼育農家が特に困っています。


 
 
 ここで、椎葉に伝わる悲恋物語を紹介します。

◎椎葉の悲恋物語
 830年前、壇ノ浦の合戦に敗れた平家の残党は、道なき道を逃れ、山深き椎葉の地へと落ち延びて来ました。それを伝え聞いた源頼朝より、平家残党の追討の命を受けた「那須大八郎宗久(那須与一の弟)」が椎葉の地に入り目にしたものは、かつての富や権力による華やかな生活はなく、ひっそりと農耕に汗し、暮らす平家一門の姿でした。
 「大八郎」はその姿を哀れに思い、幕府には追討を果たした旨を報告し、農耕を教えるなど協力し合いながらこの地で暮らしました。このとき、平清盛の末高といわれる「鶴富姫」と「大八郎」は恋仲となり、姫は子どもを宿すことになります。

 しかし、程なくして、大八郎に鎌倉への帰還命令が下されます。別れの際に大八郎は、「生まれた子が男子なら、わが下野の国へ、女子ならこの地で育てよ」と言い残し、椎葉を後にしました。
 生まれたのは、女の子。その後、姫は都に上がることなく、椎葉で慈しみ育てられ、那須の性を名乗るようになりました。

 この悲恋の舞台となったのが昭和31年に国指定重要文化財に指定されました、「鶴富屋敷」です。現在はその末窩、第33当主、ご家族が住んでおります。
 (このため椎葉村に住む人の名字は「椎葉」と「那須」が6割いて、そこら中「椎葉さん」と「那須さん」だらけです (笑))

 この悲恋物語を再現しているのが、11月に行われる椎葉平家まつりです。皆さん一度おいで下さい。

つづく

宮崎県椎葉村 椎葉 勇

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