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伏見康生のコラム
「NO.72: 「和牛の起源」」

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2010年1月6日

 和牛は神代において既に飼養されていたことが多くの書物から分かっており、大和民族が朝鮮より輸入したものと推定されています。その後、飛鳥時代には百済との国交で牛馬が輸入されていました。牛が輸入されたという記述は欽明天皇(538〜564年)の御代に百済から牡牝各一頭を輸入したとあるのが初めてのようです。それ以降も中国人や朝鮮人との交流を通して多くの朝鮮牛が入ってきました。長崎県では平戸城主が、太閤秀吉が朝鮮出兵した際に朝鮮牛を持ち帰り、これを繁殖し高麗牛と呼んでいました。こういった朝鮮から入った牛が和牛の基となっていきました。
 推古天皇の時代(飛鳥時代)にはインドとの交通が開け、肩峰牛(こぶうし)も入ってきていたと推測されています。肩峰牛が輸入されていた事実としては、徳川幕府8代将軍吉宗はインド産の3頭の肩峰牛を輸入して千葉県の牧場で飼養していた、ということがあります。以前にも記述しましたが、和牛にはこの肩峰牛の血が入っているといわれています。井口氏は凹背や斜尻、丸尻、垂直な四肢の特徴などから形態的に、望月氏は骨学に基礎を置き、古生物学、考古学の観点から朝鮮牛が野原牛と印度牛の混血であるとし、この説を裏付けています。
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